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広島高等裁判所 昭和28年(ネ)177号 判決

控訴人(被告) 広島県知事

被控訴人(原告) 片山正登

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張は、控訴代理人において、「被控訴人は昭和二十三年四月二十二日中黒瀬村農地委員会々長新宅茂雄方において同人及び同委員会書記山本秀基に対し、口頭で本件農地の買収申出をなしたものである」と述べ、被控訴代理人において、「控訴人の右主張事実を否認する」と述べた外、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

証拠として

被控訴代理人は甲第一号証の一、二、第二、第三、第四号証を提出し、原審証人片山チヨノ、原審及び当審証人森高敬三、当審証人杉岡順一、沖中春三の各証言及び原審における被控訴人本人訊問の結果を援用し、乙各号証の成立を認めた。

控訴代理人は、乙第一号証から第四号証まで、第五号証の一から四までを提出し、原審及び当審証人新宅茂雄、川崎七三、当審証人山本秀基(第一、二回)の各証言を援用し、甲第一号証の二、甲第三号証の成立及び甲第二号証の原本の存在及び成立を認める。その他の甲号各証の成立は不知であると述べた。

理由

被控訴人が広島県賀茂郡中黒瀬村大字市飯田本郷四百八十三番地田一反四畝十一歩の本件農地を所有していたこと並びに中黒瀬村農地委員会は被控訴人より本件農地の買収申出があつたものとして昭和二十三年四月三十日自作農創設特別措置法第三条第五項第七号に基き本件農地の買収計画を樹立し、控訴人はこれに基き同年七月二日本件農地の買収処分をなし、同年十月十八日その買収令書を被控訴人に交付したことは当事者間に争がない。

先ず、被控訴人は同委員会に対し被控訴人において買収申出をなした事実はないから、本件農地の買収処分は当然無効である旨主張するので、右買収申出の有無について判断する。

本件農地は昭和二十年九月の水害により埋没したものであるが、当時訴外三浦諭が本件農地を小作人として耕作していたこと、同人は昭和二十二年十月頃同委員会に対し本件農地の遡及買収の申請をしたため、本件農地の耕作につき同人と被控訴人との間に紛争の生じたことは当事者間に争がない。そして、原本の存在及び成立に争のない甲第二号証、成立に争のない乙第一、第二、第四号証、原審及び当審証人新宅茂雄、川崎七三、当審証人山本秀基(第一、二回)の各証言及び原審における被控訴人本人訊問の結果(一部)を綜合すれば、中黒瀬村農地委員会は前示三浦諭の遡及買収申請を審理した結果、同人の本件農地に対する小作権は水害による本件農地の埋没により消滅し、本件農地の耕作権はこれを復旧して耕作している所有者たる被控訴人に在るものとして、昭和二十三年二月七日右申請を却下したところ、三浦諭はこれを不服として広島県農地委員会に対し訴願を提起したこと、そこで、中黒瀬村農地委員会会長新宅茂雄は三浦諭の居村である隣村の郷原村農地委員会会長川崎七三の参加を得て被控訴人と三浦諭との間に調停を試みた結果、昭和二十三年四月二十二日新宅茂雄方において右両者間に調停が成立したので中黒瀬村農地委員会書記山本秀基は「一、本件農地は第七次買収計画により買収し、三浦諭へ売渡すこと、二、本件農地は昭和二十五年水稲作収獲時まで被控訴人が耕作すること、三、昭和二十五年水稲作収獲後被控訴人は無条件で作付を抛棄し本件農地を三浦諭へ引渡すこと、四、本件農地の水害復旧見舞として三浦諭は被控訴人へ金一万円を謝礼すること」、等の趣旨を定めた調停書(乙第一号証)を作成し、右両名はこれを了承して右調停書に署名押印し右の如き内容の調停が成立したこと、被控訴人は同日三浦諭より右約旨に従い金一万円を受領したこと、右調停に際し、被控訴人は中黒瀬村農地委員会が本件農地につき所有者の申出買収の手続により買収計画を立てることを承認することによつて、同委員会会長新宅茂雄及び同委員会書記山本秀基に対し本件農地の買収申出の意思表示をなしたものであること、右山本秀基は前記調停書の作成により本件農地の買収申出の事実が明白になされたものと考え、別に被控訴人より買収申出書を徴しなかつたことを認めることができる。もつとも、原審及び当審証人森高敬三、当審証人沖中春三の各証言によれば、中黒瀬村農地委員会が会長たる新宅茂雄をして本件農地に関する紛争の解決を斡旋せしめる旨の決議をなした事実の存しないことを認め得るけれども、前記乙第一号証及び当審証人川崎七三、新宅茂雄の各証言によれば、新宅茂雄は中黒瀬村農地委員会会長として前記調停を試みたものであつて、右調停書にも同会長の肩書を附して署名していることを認め得るから、被控訴人が新宅茂雄に対しなした前記買収申出の意思表示が同委員会に対しその効力を生ずることは明らかである。次に、被控訴人は本件農地の買収計画樹立前たる昭和二十三年四月二十三日被控訴人の代理人として被控訴人の母片山チヨノが中黒瀬村農地委員会会長新宅茂雄に対し前記買収申出を取消す旨の意思表示をなしたと主張するけれども、原審証人森高敬三、片山チヨノ、当審証人杉岡順一の各証言及び原審における被控訴人本人訊問の結果中右主張に副う部分は、当審証人杉岡順一の証言により成立を認め得る甲第四号証、原審証人川崎七三、原審及び当審証人新宅茂雄当審証人森高敬三の各証言に照して信用し難く、他に本件濃地の買収計画樹立前に被控訴人が前記買収申出を取消し或は撤回した事実を認め得る証拠は存在しない。そして、買収由出に基き買収計画が樹立せられた後には任意にその買収申出を撤回することは許されぬから、たとえその後において被控訴人が前記買収申出を撤回した事実があるとしても、本件農地の買収計画の効力に何等の影響も及ぼすものではない。

更に、被控訴人は前記調停は新宅茂雄等の強迫によりなされたものである旨主張するけれども、右主張事実を認めるに足る証拠が存在しないから、右強迫の存在を前提とする被控訴人の主張は理由がない。

最後に、被控訴人は本件農地が遡及買収されるものと信じて前記調停に応ずる意思表示をしたが、本件農地は遡及買収の対象にならないのであるから、被控訴人の右意思表示は要素の錯誤により無効である旨主張し、原審及び当審証人森高敬三の証言及び原審における被控訴人本人訊問の結果によれば、被控訴人は諸般の情勢より判断して、県農地委員会が前記三浦諭の訴願を容れて中黒瀬村農地委員会の前示決定を覆えし本件農地の遡及買収を指示するおそれがあるものと信じ、僅か五、六百円で本件農地を買収されるよりも三浦諭より金一万円の謝礼金を貰つて前示調停に応じた方が好いと考えこれに応ずる意思表示をなしたものであつて、被控訴人において本件農地が遡及買収せられるおそれがあると信じたことが前記調停に応ずる動機の一つとなつていたことを認め得る。しかし、意思表示の動機に錯誤があつても、その動機が意思表示の内容として表示されない限り、法律行為の要素に錯誤があつたものとはいえないところ、前記調停に際し被控訴人が前示動機を意思表示の内容として表示したことを認めるに足る証拠は存在しないから、果して本件農地が遡及買収の対象とならないものであるか否か即ち果して被控訴人が前示調停に応ずる意思表示をなすにつき動機の錯誤があつたと言い得るか否かについて判断するまでもなく、被控訴人の右意思表示或いは延いては前記買収申出の意思表示に要素の錯誤が存したものといえないことは明らかであつて、被控訴人の前記主張は理由がない。

しからば、被控訴人の前示買収申出に基きなされた本件農地の買収計画は適法であり、右計画に基き控訴人のなした買収処分の有効であることは明白であるから、右買収処分の無効確認を求める被控訴人の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきものである。よつて、被控訴人の請求を認容した原判決は不当であるからこれを取消すべきものとし、民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 植山日二 佐伯治 松本冬樹)

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